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ジャニーズ事務所から生まれた忍者

ジャニーズ事務所から生まれた忍者

ジャニーズにかつていた忍者

ジャニーズというと時代関係なく、人気グループが次々と現れました。
年代によって、夢中になったグループは異なるかもしれません。
しかし「忍者」と聞いてもピンとこないという人もいるでしょう。

ちょうど谷間に現れたジャニーズのグループで、陰に隠れた存在になってしまいました。
忍者がデビューしたのは1990年のことです。

1985年に中村繁之のバックダンサーグループの「シゲダン」という10人組が原型です。
その後「少年忍者」の解消されました。
その後4名が脱退したり、メンバーの入れ替えがあったりして最終的に「忍者」というグループ名でCDデビューすることになりました。

ちなみに忍者になったのは、当時アメリカで人気になっていた「ミュータント・タートルズ」が関係しています。
忍者物の映画で「世界でも通用する名前に」ということで、名付けられたそうです。

デビュー曲は新人賞総なめ

実はこの忍者、スタートは順風満帆でした。
デビュー曲は「お祭り忍者」と言って、美空ひばりの「お祭りマンボ」のリメイクでした。
ヒットチャート1位を記録し、主要な新人賞を総なめにしました。
さらにデビューから4か月で紅白歌合戦にも出場しました。

その後同じく美空ひばりの「リンゴ追分」をリメイクした「リンゴ白書」、「車屋さん」からインスパイアされた「おーい!車屋さん」と立て続けに発売しました。
しかし売り出すたびに売り上げは下降線の一途をたどります。
4枚目のシングルからオリジナル路線に変更しましたが、人気回復の一手にはなりませんでした。

メンバー2名が解雇に

さらに悪いことは重なります。
94年にメンバー2名が解雇されました。
一人は結婚していることを隠していた、もう一人は太っていたため事務所からダイエット指定が出たのですが無視したためだったといわれています。

残り4名は「四銃士」と名称を変えて、バレーボール中継とタイアップしました。
しかしそのシングルはオリコン50位以下と惨敗してしまいます。

そこでまた元の忍者に戻したのですが、悪い流れを止めることはできませんでした。
結局1997年11月のライブ出演を最後にフェードアウトという形になりました。

メンバーの今は?

忍者のメンバーは2020年現在50歳前後になりました。
それぞれいろいろな道を歩んでいました。

芸能活動を続けている人もいれば、ジュエリーのプロデュース、ジャニーズのマネージャー、ジャニーズ関連企業の役員、ホストに転身など様々です。
彼らのデビューの前後にはアイドル界の歴史に残るグループがいました。
1987年デビューの光GENJI、そして1991年にはSMAPがデビューしています。
彼らの輝かしい活躍の陰にすっかり隠れてしまった感があります。